北海道日本ハムファイターズの清宮幸太郎選手が、2025年10月19日のパ・リーグCSファイナルステージ第5戦で先制打を含む3打点の活躍を見せ、チームを9年ぶりの日本シリーズ進出へと導く逆王手に貢献しました。かつて「和製ベーブ・ルース」と呼ばれながらプロ入り後は怪我や不振に苦しんだ清宮選手が、ついに重要な場面で本領を発揮しています。そこで本記事では、清宮幸太郎選手のプロフィールや経歴、復活を支えた体づくりの秘密、そしてラグビー界の名将である父・清宮克幸氏の教育哲学について詳しく解説します。
清宮幸太郎プロフィール|年齢・出身・経歴まとめ
清宮幸太郎選手のプロフィールを見ていきましょう。清宮幸太郎は1999年5月25日生まれの26歳、東京都新宿区出身のプロ野球選手です。
清宮幸太郎選手の経歴は、幼少期から注目を集めるものでした。父は日本ラグビー協会副会長の清宮克幸氏、母は慶應大学ゴルフ部で主将を務めた幸世さんというスポーツエリート一家に生まれ、恵まれた運動神経と184cmの体格を受け継ぎました。
早稲田実業高校時代には高校通算111本塁打という日本歴代2位の記録を樹立し、「和製ベーブ・ルース」の異名で全国にその名を轟かせました。2017年のドラフト会議では7球団が1位指名で競合するという異例の事態となり、北海道日本ハムファイターズが交渉権を獲得しました。
基本情報は以下の通りです。
- 年齢:26歳(1999年5月25日生まれ)
- 出身地:東京都新宿区
- 学歴:早稲田実業高校卒業
- 所属:北海道日本ハムファイターズ
- 身長・体重:184cm・95kg
- 投打:右投左打
- 背番号:21
- ポジション:内野手(一塁、三塁)、外野手
清宮幸太郎選手はプロ入り後、入団直後の緊急入院や2019年の右有鉤骨骨折など怪我に悩まされましたが、近年は体づくりを見直し、2024年からレギュラーとして定着。2025年シーズンには規定打席に到達し、143安打でリーグ2位の成績を残すなど、着実に成長を遂げています。
このような清宮幸太郎選手のプロフィールと経歴から、高い才能と不屈の精神を持つアスリートという魅力が見えてきます。
清宮幸太郎の成績・実績|高校通算111本塁打からプロへ
清宮幸太郎選手の代表的な実績をまとめます。
清宮幸太郎選手が全国的な注目を集めるきっかけとなったのが、高校野球での圧倒的な長打力でした。早稲田実業高校時代の3年間で記録した高校通算111本塁打は、当時の日本歴代2位という驚異的な数字です。
高校時代の主な実績:
- 高校通算111本塁打(日本歴代2位)
- 2015年夏の甲子園:1年生ながら3番一塁でベスト4進出
- 2016年明治神宮大会:優勝に貢献
- 2017年U-18ワールドカップ:日本代表主将として出場
さらに遡ると、リトルリーグ時代にも輝かしい実績があります。2012年のリトルリーグ世界選手権では投打にわたる活躍でチームを優勝に導き、リトル通算132本塁打を記録しました。
プロ入り後の主な成績:
- 2024年:89試合出場、打率.300、15本塁打、51打点
- 2025年:138試合出場、打率.272、12本塁打、65打点、143安打(リーグ2位)
- オールスターゲーム出場:2回(2022年、2025年)
- 2025年オールスター第2戦MVP受賞
- 4年連続2桁本塁打達成
2025年シーズンは自身3年ぶりに規定打席に到達し、出場試合数、打点、安打数すべてでキャリアハイを更新しました。特に143安打はリーグ2位の成績で、最多安打のタイトル争いにも食い込む活躍を見せました。
これらの清宮幸太郎選手の実績から、高校時代から培われた長打力と、プロでの適応力の高さが分かります。
清宮幸太郎の復活を支えた体づくり|ダイエット成功の秘密
清宮幸太郎選手の2024年以降の復活を語る上で欠かせないのが、徹底した体づくりの改革です。ここでは、どのようにして清宮選手が肉体改造に成功し、パフォーマンスを向上させたのかを詳しく見ていきましょう。
清宮幸太郎選手はプロ入り時に102kgだった体重が、2021年頃には108kgにまで増加していました。新庄剛志監督から「ちょっとデブじゃね? ちょっと痩せない?」と直球の指摘を受けたことが、体づくり改革のきっかけとなりました。
ダイエット方法の3つの柱:
第一に、朝食前のウォーキングです。清宮選手はボディビルダーのプロから「朝食前に時速6kmで歩くと脂肪燃焼効果が高い」というアドバイスを受け、秋季キャンプ中は同部屋の吉田輝星選手とともに早朝散歩を40分以上行いました。時速6kmは一般的なウォーキングよりやや速いペースで、効率的に脂肪を燃焼させることができます。
第二に、食事の質の改善です。清宮選手はもともと肉類が苦手で、ステーキやトンカツをあまり食べない体質でした。この特性を活かし、脂肪分の少ない魚や植物性食材を中心とした高タンパク・低脂肪の食事に切り替えました。ジャンクフードを控え、栄養バランスを計算した食事を摂取することで、筋肉量を維持しながら脂肪を落とすことに成功しました。
第三に、戦略的なトレーニングです。ウエイトトレーニングで脚と体幹を強化し、打撃力の向上と守備時の安定感を高めました。有酸素運動と筋力トレーニングを組み合わせることで、ただ痩せるだけでなく、野球選手として必要な筋肉を維持する「質の高いダイエット」を実現しました。
この結果、清宮選手は108kgから95kg台まで約13kgの減量に成功。体が軽くなったことでスイングスピードが向上し、守備範囲も広がり、機動力も増しました。新庄監督は減量成功後、今度は「マッチョ化指令」を出し、村上宗隆選手のような迫力ある体づくりを目指すよう促しています。
さらに清宮選手は、ソフトバンクの柳田悠岐選手に2年連続で弟子入りし、トップ選手の練習方法やメンタル面でのアドバイスを受けています。柳田選手は清宮選手について「大事にしていきたい」と語り、若手の成長を見守っています。
このように、清宮幸太郎選手の復活の背景には、科学的なダイエット方法、戦略的なトレーニング、そしてトップ選手からの学びという3つの要素がありました。単なる減量ではなく、野球選手としてのパフォーマンスを最大化するための総合的な体づくりが、今回のCS活躍につながったのです。
清宮幸太郎を育てた父・清宮克幸の教育哲学
清宮幸太郎選手の成長を語る上で欠かせないのが、父・清宮克幸氏の存在です。ラグビー界の名将として知られる克幸氏は、どのようにして息子をトップアスリートに育て上げたのでしょうか。
清宮克幸氏は、早稲田大学ラグビー部で選手として活躍した後、サントリーでもキャプテンを務めた元ラガーマンです。現役引退後は指導者として早稲田大学監督に就任し、5年間で3度の大学選手権優勝を果たしました。その後、ヤマハ発動機の監督として日本選手権優勝に導くなど、選手・指導者の両面でラグビー界に多大な貢献をしてきました。現在は日本ラグビーフットボール協会の副会長を務めています。
「野球で一番になれないなら、やめろ」という厳しい言葉
克幸氏が幸太郎選手にかけた言葉で最も有名なのが、「野球で一番になれないなら、やめろ」という厳格な教えです。一見厳しすぎるようにも聞こえますが、これは子供の可能性を信じ、高い目標を持たせるための愛情表現でした。この言葉は清宮選手にとって常に挑戦を続ける原動力となり、努力を怠らないための重要な指針となりました。
克幸氏は他にも「パワーなんだよパワー」「頑張りますとか当たり前のことを言うなよ。他の人とは違うことを言え」といった言葉で息子を鍛えました。会話の受け答えにも厳しく、凡庸なコメントを許さず、常に自分の頭で考えることを求めたのです。
多様なスポーツ経験を重視
克幸氏と幸世さん夫妻は、幸太郎選手が幼少期に様々なスポーツを経験することを重視しました。「ラグビー馬鹿になってほしくない」「ゴールデンエイジの10歳までにいろいろなスポーツを経験させたい」という方針のもと、ラグビー、野球、水泳、テニス、陸上、スキー、相撲など、多くの競技に挑戦させました。
その中で幸太郎選手は相撲で港区の大会4連覇を達成し、野球では5歳でバッティングセンターのホームランボードにボールをぶち当て、小学1年で球速130キロのマシンを打ち返すという武勇伝を残しました。
ラグビーから野球への転向を後押し
幸太郎選手が小学4年生の時、「競技人口が多い野球の方が切磋琢磨できる」と野球一本に絞る決断をした際、克幸氏はこれを全面的にサポートしました。アスリートとしての息子の特性を見極め、「速筋が強く持久力が少ないタイプ」である幸太郎選手には、持久力が重視されるようになったラグビーよりも野球の方が適していると判断したのです。
清宮幸太郎選手は父について「とても尊敬しています」と語り、ラグビーの試合を観戦することを今でも楽しみにしています。厳しい教育の裏にある深い愛情を理解し、父の教えを糧として成長してきたことが分かります。
清宮幸太郎がラグビーから野球を選んだ理由
清宮幸太郎選手は3歳からラグビーを始め、幼少期は野球よりもラグビーに熱中していました。では、なぜラグビーではなく野球の道を選んだのでしょうか。
清宮選手が幼少期に所属していたラグビーチームでは、体が大きく足も速かった清宮少年は無敵の存在でした。「清宮が強すぎて、チームメートの選手たちが辞めてしまった」という伝説があるほどで、父・克幸氏からも「お前のせいで2、3人やめたぞ」と言われたそうです。
それほどラグビーで圧倒的な才能を見せていた清宮選手が、小学4年生で野球一本に絞った理由は明確でした。「ラグビーも大好きだったけど、競技人口が多い野球の方が切磋琢磨できると思った」という本人の言葉が全てを物語っています。
父・克幸氏もこの決断を後押ししました。克幸氏は「自分のDNAを考えながら、息子たちが何に向いているのかは、ある程度わかる」と語り、速筋が強く持久力が少ないタイプの幸太郎選手には「野球の方がいいところまでいけるのでは」とアドバイスしました。
また、母・幸世さんも野球への転向を支援しました。中学時代に野球部のマネージャーをしていた経験から、「左利きの方が一塁に近くて有利」というアドバイスで、元々右打ちだった幸太郎選手を左打ちに転向させました。2004年にヤンキースの松井秀喜選手の開幕戦を東京ドームで観戦した際、「強打者は右投げ左打ち」との思いが強くなったことも、左打ち転向の背景にあります。
清宮選手は今でもラグビーへの愛着を持ち続けており、「離れると恋しくなるものです」と笑顔で語っています。ラグビー日本代表の試合を観戦することを楽しみにしており、五郎丸歩選手のステップを「華麗です」と称賛するなど、ラグビーへの深い理解と敬意を持ち続けています。
清宮幸太郎の今後の目標|日本シリーズへの意気込み
2025年パ・リーグCSファイナルステージで3連勝を果たした日本ハムは、9年ぶりの日本シリーズ進出に逆王手をかけました。清宮幸太郎選手にとって、これはプロ入り8年目にして初めての日本シリーズ出場のチャンスです。
清宮選手は2025年シーズン、138試合に出場し143安打を記録するなど、レギュラーとして定着しました。オールスターゲームでは第2戦のMVPを受賞し、ホームランダービーでも決勝に進出するなど、その実力を全国にアピールしました。
新庄剛志監督からは「今度はウェートトレーニングとかをして力がつけば、スイングスピードも速くなる」とマッチョ化指令が出ており、さらなるパワーアップを目指しています。清宮選手自身も「ギータ(柳田悠岐)さんよりホームランを打つ」と宣言しており、高い目標を掲げています。
また、柳田悠岐選手からは「大事にしていきたい」と期待の言葉をかけられており、トップ選手からも将来を嘱望される存在となっています。
父・克幸氏から受け継いだ「一番を目指す」という教えを胸に、清宮幸太郎選手は日本一という頂点を目指して挑戦を続けています。

まとめ:CS逆王手と清宮幸太郎の成長物語
清宮幸太郎選手が2025年10月19日のパ・リーグCSファイナルステージ第5戦で先制打を含む3打点の活躍を見せ、日本ハムの9年ぶり日本シリーズ進出に貢献しました。本記事では、清宮幸太郎選手のプロフィールや経歴、復活を支えた体づくりの秘密、そして父・清宮克幸氏の教育哲学をご紹介しました。
清宮幸太郎選手は高校通算111本塁打という輝かしい実績を持ちながら、プロ入り後は怪我や不振に苦しみました。しかし、108kgから95kgへのダイエット成功、戦略的なトレーニング、そして柳田悠岐選手からの学びを経て、2024年以降は着実に成長を遂げています。
特に、ラグビー界の名将である父・清宮克幸氏の「野球で一番になれないなら、やめろ」という厳しくも愛情深い教育が、清宮選手の成長の土台となっていることが分かります。スポーツエリート一家に生まれ、幼少期から多様なスポーツを経験し、科学的な体づくりと高い目標設定によってトップアスリートへと成長した清宮選手の物語は、多くの人に勇気を与えるものです。
今回のCS逆王手をきっかけに、清宮幸太郎選手の今後の活躍と日本シリーズでの活躍にも注目していきたいですね。
よくある質問(FAQ)
Q1. 清宮幸太郎とは何者ですか?
A. 清宮幸太郎は26歳(1999年5月25日生まれ)のプロ野球選手で、北海道日本ハムファイターズに所属しています。早稲田実業高校時代に高校通算111本塁打(日本歴代2位)を記録し、2017年ドラフトでは7球団が1位指名で競合しました。父は日本ラグビー協会副会長の清宮克幸氏というスポーツエリート一家に生まれ、2025年10月19日のパ・リーグCSファイナルステージ第5戦で3打点の活躍を見せ、チームの日本シリーズ進出に貢献しました。
Q2. 清宮幸太郎はどうやって復活したのですか?
A. 清宮幸太郎選手の復活の鍵は体づくりの改革です。新庄剛志監督の指令を受け、108kgから95kg台へ約13kgのダイエットに成功しました。朝食前に時速6kmで40分以上のウォーキング、高タンパク・低脂肪の食事への切り替え、ウエイトトレーニングと有酸素運動の組み合わせという3つの方法で、筋肉を維持しながら脂肪を落としました。さらにソフトバンクの柳田悠岐選手に弟子入りし、トップ選手から学ぶことでメンタル面も強化しました。
Q3. 清宮幸太郎の代表作は何ですか?
A. 清宮幸太郎選手の代表的な実績には、高校通算111本塁打(日本歴代2位)、2012年リトルリーグ世界選手権優勝(投打で貢献)、2015年夏の甲子園ベスト4進出(1年生ながら3番一塁で出場)などがあります。プロ入り後は、2025年シーズンに143安打でリーグ2位の成績を残し、オールスター第2戦でMVPを受賞するなど、着実に実績を積み重ねています。
Q4. 清宮幸太郎の父・清宮克幸はどんな教育をしたのですか?
A. 清宮幸太郎選手の父・清宮克幸氏は、日本ラグビー協会副会長を務めるラグビー界の名将です。「野球で一番になれないなら、やめろ」という厳しい言葉で息子を鍛え、常に高い目標を持たせました。また、幼少期には野球だけでなく、ラグビー、水泳、テニス、陸上、相撲など多様なスポーツを経験させ、総合的な運動能力を育てました。息子の体質を見極めて野球への転向を後押しするなど、科学的で愛情深い教育を行いました。
Q5. 清宮幸太郎がラグビーをやめて野球を選んだ理由は?
A. 清宮幸太郎選手は3歳からラグビーを始め、幼少期は圧倒的な才能を見せていました。しかし小学4年生の時に「競技人口が多い野球の方が切磋琢磨できる」と考え、野球一本に絞る決断をしました。父・克幸氏も、速筋が強く持久力が少ないタイプの息子には「野球の方がいいところまでいける」と判断し、この決断を後押ししました。現在も清宮選手はラグビーへの愛着を持ち続けています。
参考情報・出典
- 【日本ハム】日本Sに逆王手 崖っぷちから3連勝!清宮幸が先制打&3打点 田宮は絶妙スクイズ決める 古林5回途中2安打無失点の好投
配信元:TBS NEWS DIG Powered by JNN(Yahoo!ニュース) - 清宮幸太郎 – Wikipedia
- 【公式】清宮幸太郎(北海道日本ハム)|パ・リーグ.com
- 父親・清宮克幸の情報:清宮克幸 – Wikipedia
- 体づくり・ダイエット情報:【日本ハム】清宮幸太郎、マッチョ化でギータ超え40発宣言|パ・リーグ.com
- 幼少期・家族情報:【父はラグビー界の名将・清宮克幸】話題沸騰の超大物ルーキー・清宮幸太郎の成長期|週刊野球太郎
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